【北海道】旭川理容美容専門学校入学
自衛隊を卒業して北海道にある旭川理容美容専門学校に入学しました
旭川市は、日本の北部、北海道にあります。東部の旭山には、ホッキョクグマ、ペンギン、オランウータンが見られる旭山動物園があります。市中心部の近くにある旭川ラーメン村には、名物の醤油ベースのラーメン屋が並んでいます。-Wikipedia-
初の一人暮らし
自衛隊の時は、泊まる場所や水道光熱費など気にすることなく過ごしてましたが、一人暮らしした今、全て使ったものは自分。
改めて社会の厳しさを知りました。
この物件どう思う?
いいんじゃない?私が住むわけじゃないし笑8階で見渡し良好!
何を隠そう、当時旭川に出てきた時、右も左もわからない時に一緒に物件を探してくれたのは今の嫁でした。
その物件は旭川駅徒歩1分、日当たり良好のマンションだったのですが、バブル前に建てられ崩壊後買い手が居なく、賃貸にして格安物件だったのです。
幸い、自衛隊時代に使ってたものなどは持ってきたり、もらったりと諸費用は安く済ませれたものの、ランニングコストがハンパなさそうなのでバイト探しました。
小料理屋のマスター
まず、バイトしないと生活が出来ないのでバイト探ししました。で、どうやって?笑
とりあえず、自宅のポストに入ってたバイト募集を片っ端から電話。
まだバイト募集してますか?
募集終わりました。
そうですか、わかりました。
の連続
最後に電話したところが、一度面接したいとの事だったのですぐ行きました!
とりあえず、お金を浮かせるために必死だったので「まかないが出るところを探しまくりました笑」
そこは、小料理屋でマスター1人でやってるところでした。
面接時に今までの自分の経緯や想いなどを色々話しました。
すると、マスターから思いがけない一言。
ごめん、うちでは雇えない。
えーーーーー!!!募集してましたよね???面接ってことで来たのに、、、
話を聞くと、
外城さんにお給料を支払えない。
との事でした。
私は、自衛隊の貯めたお金を全て専門学校に投資してこの業界に飛び込みました。
なので一文無し笑
「週6」くらいの勤務をして、生活費を稼ぎながら学校の勉強して、、、って希望したんです。
そこの小料理屋では週に3日がギリギリとの事でした。
そこでマスターから、
今の外城さんの想いを引き受けてくれるお店がある。募集してるかわからないケド、、、
とにかく行ってみます!!
そこが、今では僕の接客の根源になってる、
「うまいもんやBamboo 」との出会いでした。
うまいもんやBamboo
場所は、旭川市のど真ん中の繁華街にある
3.6センタービルの最上階。
店長の真理亜さんを中心に、一流の腕のある料理人が揃っていて、市内でも有名なお店でした。
店長の真理亜さんは、東京中野で修行し、地元の旭川で店長として働いてました。
料理もそうですが、店長自身がとにかく、接客にも厳しく「おもてなしの立ち振る舞いや動作、目線、予測する気配り」全てがプロフェッショナルでした
「自分を高められて、まかないも有り笑、週6勤務OK」
ここなら、これからの自分も高められるし、学びたい!!
私を雇ってください!!
へー。自衛隊から?専門学校と両立出来るの?出来るならいいけど
めっちゃサバサバ系のキレッキレな方でした笑
もう、そこ以外考えられないくらい「ピンッ」ときました。
働かせてもらえる事になり、店長から歩き方、姿勢、声のトーン、振る舞い、気配りを教えてもらいました。
いつも美味しい「まかない」を作ってくれた厨房の皆様、
楽しく仕事させてもらったスタッフの皆様ありがとうございました^ ^
感謝です!
そんなんで、
学校→バイト→帰宅→学校→バイト→帰宅→学校→バイト→帰宅….
このルーティンでした笑
雇いたくても雇えない、雇わない選択をしてくれ、このお店を紹介してくれたマスターまだ元気かな。
マスターに今でも感謝です。
専門学生時代
旭川理容美容専門学校は本当に教えるのが上手でなんの迷いもなく技術を学んだ記憶しかありません笑
先生方のレベルがとても高く、今でも目に焼き付いてます!
最初の問題が右手か?左手か?
もともと左利きだったため、今まで工具鋏など右で持った事ない私が理容鋏を右で持てるのだろうか。
選択を迫られました。先生に確認すると、
理容鋏は持ち方も特殊だし、はじめは「みんなも同じ」左手用の鋏は特注だから高いよ?右でやってみてそれでもダメだったら左手にしたらいいんじゃない?
親からは「髪は鋏で切るのではなく、クシで切るものだから大丈夫」と言われ、右手で持つことを決意しました。
今では、クシで切るが「なるほど~!」って思います。
リアルに左手用のハサミは倍近く値段が違うみたいで、単純にこれは無理って速攻思いましたケドね。笑
まるで初めてのこの世界。
父や母の背中を見て育った世界。
何もかもが新鮮でここから自分のストーリーがまた新しくスタートするんだなぁと思うとずっとワクワクしてました。
理美容コンテストの存在
1年生も半年が過ぎた頃、理容美容混合の校内ワインディングコンテストがありました。
まだハサミを持ったばかりで何が自分には得意なんだろうとか分からない状態でしたが、
「ワインディングを時間内に綺麗に巻けるようになると技術がうまくなるよ」という教えだったので、ひたすらワインディングの練習をしてました。
なんと準優勝することができました^ ^
この時にまた「一生懸命全力で、やればできる」と思いました。
冬には旭川の大きな大会があり、そこの大会でも1年生でワインディング優勝
2年生でフリースタイル優勝することができました。
自分には白黒つく勝負、競技会とかコンテストとかが自分は性に合ってて、好きなんだなーって思い始めてました(負けず嫌いなんで、、、)
いきいき!夢キラリ 上原さんの存在
1年目が終わる頃、そろそろ就職のことも考え始め自分は何がしたいんだろうという、模索の時期に入りました。
もちろん男性のカットしたい、カラーリングやパーマ、
女性のカットも担当したい!色々やりたいことがある中、
あるテレビ放送の録画を学校で見ました。
その録画したテレビは「いきいき!夢キラリ」というドキュメンタリー番組でした。
主人公は朗話の上原正裕さん
上原さんは、田中トシオヘアーサロン髪ing本店で働いてる方でした。
上原さんは3歳の時に髄膜炎を患い、耳が聞こえなくなりながらもコンテストで優勝めざすという番組でした。
一流の技術を身につけるため、自分の理容師の夢を追って東京に出てきた上原さん。
耳が聞こえなくても、こんなに頑張ってる人がいるんだなぁと思い、胸が熱くなりました。
田中トシオヘアーサロン髪ing
そこで初めて東京都内8店舗ある、
【田中トシオヘアサロン髪ing】の存在を知りました。
「前人未到グランドスラム世界チャンピオン」
- 2年間店を休み、一人個人合宿をして365日1日10時間のトレーニングをして、1992年世界理美容選手権にて個人種目3冠及び団体日本チーム金メダル獲得に至った。ーウィキペディアより
・ここなら一流の技術を身につけれる
・一生懸命できる環境が整ってる
・コンテストや競技会でより、切磋琢磨し、自分を高められる
ここの「門」を叩いてみようと決意
専門2年目の夏に髪ingに面接に行きました。
当時、根本さん(ゼネラルマネージャー)と現社長の田中伸岳(スーパーバイザー)とお話し(面接)をさせていただきました。
2店舗くらい見させてもらい、キラキラした先輩方がいて、カッコいいなぁと思ってました。
帰り際に、もし、本当に髪ing来るなら、その想いを綴った作文提出してといわれ、書きました。
何日か後、合格通知が届き、内定をもらうことができました!
その時の嬉しさは、今でも覚えており、内定通知も持ってます笑
数日間の東京修行?!
当然、東京往復するとなると、お金かかります。
前に話しましたが、生活するだけでいっぱいいっぱいです。
とりあえず、「行きの飛行機代だけ」貯めました笑
多い時でバイトを3つ掛け持ち、とにかく貯めるため働きました。
専門の夏休みだったので、バイトさえ大丈夫であれば行けました。
東京に知り合いがいたので、そこに居候させてもらい、アルバイトをして「帰りの飛行機代を稼ぎました。」
バイトは「建設資材のアルバイト」を日雇いでなんとか見つけました!
当時、豊洲のマンション建設の荷揚げのバイトでした。
これがね、元自衛隊とはいえ、ほんっっっと辛かったです。。
専門的に言うと、サブロクのタイガーボードを6枚持って何往復も二階に上げて〜!っていう感じなんですが、ホント腰やるとこでした汗
そこで一緒に働いた方が言ってました。
「東京は腐る奴はとことん腐る」
「伸びる奴はとことん伸びる」
って言ってました。
欲望が渦巻く大都会「東京」
上がるも下がるも「自分次第」だと思いました。
自分の夢に一歩近づいた瞬間
ここまで来れた感謝と想いを胸に…
一流の技術を身につける
その想いを胸に無事、国家試験取得し、旭川を後に東京へ向けて出発しました。
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